宗教にみる心理

どういうわけか、とある宗教の大会(?)にいくことになってしまい、しぶしぶ出かけました。ネットで検索した限り、その宗教は、まともそうな団体ではありましたが、たとえ仏教や神道などであっても、宗教そのものに嫌悪感を抱いてしまう自分としては、会場でずっとイライラしていました。以下は僕の私見ですので、気にしないでください。
この大会には信者のほかに、信者からの紹介で招待しなければならないノルマがあるようで今回行ったわけですが、前半のありがた〜い(?)興味のないお話はともかく、無理な勧誘があるわけでもなく、悪徳宗教団体ではなさそうです。
でも、やはりそこは宗教団体なので、普段見ることのない光景があります。
まず、会場に着くと、自分の子供くらいの年齢の子が、手をあわせて「ありがとうございます」と列になって招待客に宗教的に挨拶している(どうみてもナマステ〜って言っている様な動作)。さすがにこれは引いてしまいました。当然、親が信者であるためそこにいるわけですが、まだ何もよくわからないような子供がそのようなことをしているのが僕の目にはたまらなく不憫に写ってしまいます。日本ではお葬式のときぐらいにしか宗教的なことを意識しないからかもしれませんが。
そして、講演(?)内容や幹部のあいさつでは、「〜されている」「我々は生かされている」など教えを改めて紹介していたようです。そのような教えはどこでも宗教による考えの違いなので問題はないでしょう。しかし、その教えから教祖の崇拝へたどり着き、「ありがとう教祖様」と絶対的なものになるようです。「医者が見捨てた人が、祈ったら病気が治った」というような話をこの中でしていましたが、そんなことで直るようなら医者なんてのはいらないのです。団体支部長のお孫さんらしき人(女性)の結婚秘話なども本人自らが自分話をしていましたが、宗教のための結婚(跡継ぎのため)など、自分をこの宗教論で何とか納得させようとしているような印象で、そんな話を聞いても、ちっともこの宗教が理解できませんでしたし、この方がそれで本当によかったのか疑問に思うわけです。
最終的には宗教も商売であるわけで、極端な話ビジネスです。仏教でも死んだときにつける戒名は高額であれば立派な名前がつけられ、高額であればたくさんお経を読む。人の心理につけこんで、坊さんは心理をお金にかえて生活しているわけです。お布施が高額であるほど優遇され、地位が与えられ、そんな「お金」にしばられながら「本当かどうかも誰にもわからない教え」を説いて洗脳しているわけです。
宗教っていったい何なのでしょうか?